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ゆるり家の日常 第100幕

ゆるりです。

個人記事です。
個人ブログのように書いていいよとメンバーが言ってくれたので、我が家の日々や私の個人的意見を書かせていただいてます。
軽く読み流してくださいませ。




100幕だ~って考えたら昨日は書けなかった。いいかっこしいだから。
では、せっかく?なので、介護が始まった頃のお話を少し。
ご存知の方にはなんですけど…。

平成18年11月、義母が病死して約2年。当時69歳。
独居していた義父の様子が夏頃からおかしいと、近くに住む親戚から連絡あり。
私達の介護生活が始まりである。

義父の主な症状は幻視・ウツ傾向と場所の見当識障害。
記憶の部分では、もとの性格(お調子者)もあって、判別は難しかった。
最初にウツかと病院(精神科)にいったところ、ウツでは幻視は現れないので、認知症をうたがってくださいといわれ、専門医のいる大学病院へ。
レビーと診断されたのは次の年の4月。

病院選びで一騒動あり、時間がかかってしまったが、ここで、つまづかなかったのはラッキーだったと後で知ったのだ。


ダンナは実家に行きたがらない人だったので、お義父さんとじっくり話をしたのは介護生活になってから。
ほぼ毎日通ったけど、不思議と嫌ではなかったな。
もともと介護の世界に興味あったからかも(もちろん、仕事としてだけど)。

お義父さんの症状の目立ったところはやっぱり幻視。
見当識やウツ症状はなりをひそめた。
記憶の部分は、大きな失敗はなかった。ちぐはぐではあったけど。
あ~でも見当識に関しては一人で遠出させなかった(しなかった)から、本当のところはわかんないや。

お義父さんは甘えん坊で育ったらしく、甘えることに抵抗のない人(と思う)だ。
どこまで理解していたかは不明だけど、病識はしっかりあって、頼ることを恥ずかしいと思わない人(みたい)だ。

でも、我がままではなかった。
どちらかというと素直。だから助かった。

まだ診断前だったけど、お義父さんのところに、頻繁に通うようになったら、悪かった顔色も食欲も表情も戻ってきたから、寂しかったのだと思う。

年が明けた頃には笑顔も増えた。

通うとはいっても、仕事があったので夕方から眠るまで。
週末はダンナと二人で通った。義妹も週2回来るようになった。
日中は伯母がよく見に来てくれていた。伯父もよく散歩に連れ出してくれた。

4月レビーと診断される。

5月に、要介護2の認定を受けた。
できる限り自宅で生活させるつもりだったので、まずお願いしたのは、朝の訪問ヘルパーを毎日。
規則正しい生活をさせるべく、毎朝のモーニングコールも開始した。

8月、初の布団に粗相。相当ショックを受けたみたい。
トイレじゃないところでしてしまったことは前にもあったけど、言い訳できた。
でも、布団にしてしまったことは言い逃れできなかったから。

9月に初めて私を忘れられた(人物見当識障害)
30分くらいたった頃、‘ゆるり’と思い出してもらえました。
まず私からわからなくなるんだろうなと思っていたので、ショックはあまりなかったけど、想像より早かったな~。

11月デイサービス開始。
お義父さんが見学に行って、選んだところなので、拒否はなし。
週2回から。

朝のヘルパーさんの報告で、夜中に活動(レム睡眠行動障害?)しているというものが徐々に増えてきたのはそのちょっと前だろうか。(以前から小物の移動はあったと思うけどね)

とはいえ、外に出るわけではなかったので、見て見ぬ振りだったかな。
箪笥やベッドが動かされたり、わからんものが、わからんところにあったりしたけど、人に迷惑かけなきゃいいやって、割り切った。
怪我したっていいやって。

親戚の嫌味?忠告?が増えたのもこの頃。

親戚はいつも手助けとおせっかいとを繰り返してくれて、その時々で私の気分を上げたり下げたりさせた。
ただ、私自身をけなすような言動を私自身にぶつけることはなかった。
逆に、私をお義父さんに売り込んでくれていたから、いろいろなことがスムーズに運んだのは確か。

その頃かな~…ある時お義父さんが私に弱音をはいたことがあった。

「誰にもいえない。ゆるりにしか話せないんだ」

内容は内緒。
ただ、お義父さんの信頼を得たと確信した瞬間だったのはいうまでもない。


長くなっちゃった。最初の1年はこんな感じ。
苦情がなければ続きはまた何かの機会に。

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