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ゆるり家の日常 第27幕

ゆるりです。

今日は我が家のお話。
リラックスして書くので、リラックスしてお読みください。
尚、文体もリラックスいたしますので、
失礼がありましたらスミマセン。

内容は私個人の考え、感想、経験ですので、
参考になるかは???
また、誤りがあったとしても、関係者、
及び、仲間に責任はございません。
いろいろなところ、ご容赦ください。





義父との会話方法を記しています。
前回の記事からお読みください。

あくまで私と義父とのやりとりですが、会話することを苦手としている方には、
「もっと肩の力抜いてもいいのでは」とお伝えしたくて、書き始めました。
レビーの症状の出方や性格、性別、関係性などによって、会話方法は変化するとは思いますが根底は一緒なのではと考えます。
ようは「聞いてもらっているという、安心感を与えたい」ということです。
もちろん正解・不正解の次元の話ではないので、一つの実例としてお読みください。



☆「大丈夫・まかせて」

初期の頃よく使っていた。
まだ割りとしっかりしていて、でも記憶はあやふやでみんなに間違いを直されることが多かった頃、ここが肝心と話をきくようにした。
最後には必ず「(私がいるから)大丈夫」とつけた。
何が大丈夫か私もわからないけど、とにかく「私を頼れ」というメッセージを送り続けた。
「まかせて」「大丈夫」「私がやっておくよ」
結果、行動する前に、私に聞くようになったと思うのだ。
「○○してもいいかな」とか「○○しようと思う」など。

先にいってくれれば、誘導もうまくいきやすいし、義父も私のいうことを納得しやすい。
元々ひとりでは不安と思って声をかけてくるから。

もしも、誘導に失敗して、どうしても(例えば)外に行くというのなら一緒に出かけた。
好きなように歩かせて、散歩気分で景色をみながら。そのうち何しにきたのか忘れてしまう。
何かをするというなら、それをしてもらった。ちらかしたら片付ければいいだけだし。
義父はせん妄になっても、他人に迷惑をかける内容ではなかったので、できたと思うけど。

何かをしたいという気持ちは大切にしたいから、「ダメ」とはなるべくいわないようにした。
やってほしくないときは、「お願いします」といった。「私が困るの」と。
「お義父さんは人を困らせるような人じゃないでしょ。思いやれる人だから」ともちあげた。
大抵は「うん」と納得してくれた。


☆妄想中でも

妄想中に会話をしていて、「~~しないとな」という言葉がでたときに、「それは私がやっておくよ」という言葉を使うと、それ以上発展しなかったように思う。
場面場面で、私は仕事仲間になったり、ヘルパーさんになったりだったけど、受け答えはすべて「大丈夫。まかせてください」

そして、「わからなくなったら、お聞きしますので」「終わったら報告します」「それは時間をいただきたいので、申し訳ありませんがお待ちください」と締めると、義父は納得するようで妄想話は終了する。

どんな話にも耳を傾け、義父が納得するまで話した。
そして、「困ったなと思ったら、私に言ってね。ちゃんと聞くから。大丈夫」と伝えるのだ。


☆幻視の時

今の義父は幻視が自分だけしか見えていないと、多分わかっている。
だから、幻視にこだわることはない。
こちらはその時々によって、義父が安心できて、満足するような答えを用意する。
覚醒がいまひとつのときは見えるフリもするし、見えているものによって、受け答えも変えている。

初期に幻視が現れた時は、やっぱりそれなりに固執した。その時、まずは「怖い?」と聞いた。
「怖くない」そう義父はいうので「そうだね。お義父さんは怖いものないもんね」と続け、
「どうしたらいい?」と聞いた。

初期の頃から肯定しているけれど、私には見えないものというスタンスで話をした。
「お義父さんが見ているものはお義父さんにしか見えないもの。だけど、見えているということは決して変じゃない。他の人にない能力なんだよ。何が見えるかおしえてね。楽しみにしてる」
「見えているものはね、決して怖いものじゃないし、お義父さんに悪さはしない。もし気になるならおしえてね」
というようなことを、繰り返した。

義父が見ていたものは、トラブルになるようなものではなかったので、内々で話ができたのは助かった。根気の問題だから。
毎日毎日、同じような幻視に固執していたが、あるときから幻視があっても固執することはなくなった。

今も幻視は多々あって、報告してくれる。猫だったり人だったり。「あれ」と義父が指差すので、同じ目線で見てみる。
当然何も見えないんだけど、内容によっては見えるフリもする。
だって、楽しそうに笑いながら報告してきたのだから、気持ちを共有したい。
相槌なんてなんだっていいのだ。「ほんとだ~」と笑うだけで済む。

もし、見えるフリができないなら、どんなものか聞いてみる。
「え~何々?ずるいじゃん。自分だけ~。どんなのかおしえてよ~」


☆言葉だけじゃなくて

会話って、言葉だけじゃなくて視線やボディタッチなども含まれる。全然喋ってくれなくても、そっと手を握ってみる。
とはいえ、「手を握る」は直接的だから最初は照れくさい。
徐々に少しづつ肩に腕にヒザに触れていると、義父自身も触れられていることに慣れてくる。
相槌に疲れたら、傍に座っているだけでもいい。時々は甘えてみる。

今、私がやっている触れ方は子供にしているようかもしれない。
頭をなで、顔に触れ、おでこをあわせたり、頬をムニムニしたり、ハグしたり。

私は、義父のしっかりした現役時代の、親という風格を持った頃を知らず、まともに話したのは、発症してからなので、一からの関係性構築から始まった。
だから、逆親子みたいな触れ合い方になっていった気がする。

まあ、私の接し方はこんなんだけど、言葉じゃなくても気持ちは共有できると思うんだ。
だから、その時々にあわせてできるだけ触れ合ってみてほしい。もしかしたら、言葉よりも強力かもしれない…。

※コメントくださる、ちゃわさんが「触れる」ということがコミュニケーションであるというサイトをおしえてくださいました。
「タクティールマッサージ」


お話たくさんしましょう。
笑顔でいれば、多少のチグハグは大丈夫と思います。
もし、怪訝な顔をされたら「あれ?私、勘違いしてる?ごめん」って言っちゃえばいいと思います。
「どこで間違ったんだろう。ごめんね」って。義父はそれで怒ることはありませんでした。

「傾聴」とか「回想法」とか「確認療法?」とかいろいろあるけれど、家族がやればみな普通の会話と変わらない気がします。
そういう勉強も参考にするのはいいけれど、極める必要はないと思います。
だって対象は目の前の大切な人だけだから。
専門家じゃないのだもの、技術や方法にとらわれず、楽しい時間を過ごす気持ちが一番ですよね。

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