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ゆるりです。
講演に行ってきました。
走り書きしたメモをまとめた?ものなので、言葉は私の主観が含まれますこと
ご了承ください。


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11月11日、せたがや介護の日に、聴講してきました。

「家族介護者支援を考える:講演と意見交換会」

変革の時を迎えた高齢者終末期の医療と介護

講師:石飛 幸三(世田谷区特別養護老人ホーム芦花ホーム常勤医師)

石飛先生は『「平穏死」のすすめ』の著者でもあります。
今回は、施設における職員の取り組みや入居者の最期、家族の思い、病院の意識、
胃ろうを安易に選択したあとの危険など、終末期についてお話くださいました。


芦花(ろか)ホーム(以下ホーム)はバブルの時代に、外国のナーシングホームをモデル
に作られた特別養護老人ホームで、入居者100名、ナース20人、常勤の医師が
いる、きわめて珍しい、鳴り物入りの施設だったようです。

しかし、介護保険制度が導入され、資金繰りに苦しみ、医療体制は徐々に崩れ、
石飛先生がホーム常勤医になったとき、ナースは半数以下に減っていたそうです。
しかも、そこには大勢の入居者さんが、胃ろうとなっていて、ナースは悲鳴をあげて
いたそうです。

ホームの入居者の平均年齢90歳・認知症9割
2割近くが胃ろう


●どこで最期を迎えたいか

本人は60%が自宅で迎えたい。
家族は60%が施設、30%が病院で迎えてもらいたいと考えている。
しかし現実は80%が病院で最期を迎える。

何故80%もいるのか。
80歳をこえた高齢者の4人に1人は認知症で、BPSDなどにより、自宅で看るのが
困難な場合が多い。

80%の人は胃ろうを望まないのに、80%の人は病院に誤嚥性肺炎などで入院すると
胃ろうになる。
病院は医療行為を受ける場所で、できうる技術があるのに行わないことに抵抗がある。

また、認知症の方は自己決定ができないので、家族が判断することになりますが、
「どんな状態でも生きていて欲しい」という思いは軽視できません。

家族も「生き延びる手立てがあるのに選択しない」ことは、抵抗があり、親戚に
顔向けできないと考える。


日本に寝たきりの高齢者は30万とも40万ともいわれている。
寝たきりの高齢者の胃ろうは諸外国ではあまり行われません。

なぜなら、諸外国では、今は動けなくても、栄養をつけ、リハビリなどで回復の認めら
れる患者にのみ胃ろうをすすめる。


回復の可能性がある場合は、胃ろうは有力なピンチヒッター。
しかし、胃ろうの約7割は(リハビリ理解できない)認知症高齢者の終末期につけられ
ている。


倫理の基本。
自分がしてほしくないことは、他人にもしない。
何故こうなるのか。
老衰の果てに、医療は必要か?
自然死を知らないだけなのではないか。


老衰の果て
命が終わろうとしている
延命処置が必要なのか
かえって苦しめていないか
何もしないとどうなるのか



「なにかがおかしい」

胃ろうになった患者さんは、よくなるどころか、誤嚥性肺炎を繰り返し、身体はむくみ、
胃ろうにしたら元気になるはずだったのに、ご本人を苦しめるだけになっている…。

毎日のように救急車の音を聞いていて、悩まれたそうです。
そして今までの医療の考え方では駄目なのだと気づいたといいます。

「何故こんな無様なことが起きて深みにはまっているのか」

そして、胃ろうが本当に必要か考えたそうです。
そんなとき、ある家族にであったそうです。



●「胃ろうはつけません。恩をあだで返すことになる」

ご主人は、病院で奥様に胃ろうの造設に断固として反対。
石飛医師は、その気持ちに衝撃を受け、「見殺しになりますよ」という病院の医師の
言葉を振り切り、「責任は私が」と、奥様をホームに戻されたそうです。

ホームの看護師、職員は大反対。
胃ろうをつけず、誤嚥をおこし責任問題になったら…。

しかし、ホームに戻り、ご主人が奥様に声をかけ、頬をさすり、口に指を入れ舌を
触ると、チュウチュウ吸い出しました。
そして、ご主人がゼリーを一口、口に運ぶと…ゴクンと飲み込みました。

見守っていた看護師・職員から大きな拍手が起こりました。

「空腹は最高のスパイス」


奥様は日に600cal(ゼリー2パック)を口から摂取され、1年半生きられたそうです。
この量は医学的に考えられない量だそうで、石飛医師も驚いたとか。

最期はぜりーをも受け付けず、水分も受け付けず、意識がなくなり、寝続けて寝続けて
身体の水分を尿としてしっかりだし、呼吸困難になることもなく、苦しむこともなく、
穏やかに安らかに旅立たれたそうです。



●胃ろうの問題点

終末期の方への胃ろうの問題点として、画一的な量を本人の体調を見ずして、
与えることにあると思います。

結果、誤嚥性肺炎をなくすための胃ろうで、逆流を起こし誤嚥性肺炎を繰り返す。
水分は大切と、どんどん与え、身体はむくみ、心臓に負担がかかり心不全を起こす。
胃ろうが、身体をいじめていることに気がつかない。

高齢者、寝たきりの方に、どれだけの栄養が必要か、実はわかっていません。
胃ろうにしたら、病院の役目はおわり、その後の責任の所在がはっきりしません。

胃ろうを選択したのなら、その後のケアにこそ責任を持たねばなりません。
相手は人間です。機械じゃない。入り口を作ったからと本人を見ずして、強制的に身体へ
過量に栄養をいれれば、身体が悲鳴をあげ、ご本人をより苦しませることになります。


胃ろうにしたら、個々の身体が欲する量、必要な量だけを差し上げます。
1000⇒800⇒600⇒400…(kal/日)

徐々に減量して、呼吸や痰の状態をみましょう。


胃ろうの方にこそ、口腔ケアは必要。
口から食べなくなると、唾液が減ります。
唾液が減ると、雑菌が増えます。
雑菌が増えると、誤嚥性肺炎をおこしやすくなります。


ホームでは口腔ケアを徹底したことにより、肺炎で亡くなる方が減りました。
入居者の平均年齢や介護度は変わらないのに。



●医療の限界

現在の医療に、胃ろうという食べれなくなっても、身体に栄養を与える方法がある限り
ソレをしないのは、いかがなものか。
医療側の論理:何もしないのは、負けを認めることになる

「死期が来た」とどうしてわかるのか。


死期は自然が決める
本人の状況がそれを示す
そもそも人間が決めるものではない

食べさせないから死ぬのではない、死んでいくから食べないのだ
(身体が死ぬ準備をしていく。細胞が少しづつその動きを止めていく。
だから受け付けなくなっていく)


胃ろうをつけずに静かに見守る
まだ食べるかも(身体が生きたいと欲する)

胃ろうをつけて心不全で亡くなる不条理
身体は溺れている

少し長く生きたとしても、QOL(生活の質)は?
認知症の方の胃ろう
病院に何故いるのかわからない恐怖
いつも間にか身体につけられた胃ろう
わからないから、取ろうとする
取ろうとするから、拘束される



胃ろうをつけずに、退院して数日で穏やかに亡くなったとしても
苦しまずに静かに旅立たせるのも、「正当な業務行為」ではないか。

老衰死:自然の摂理に従う
死を操作しない⇒胃ろうをつけない
が、罰せられるはずがない。

終末期において、回復する見込みがないのであれば、医師は治療する限界を知るべき。
また、家族も社会も、それを認める意識改革が必要である。


老衰末期の胃ろう
日本の医療、介護制度
その運用のひずみの中で生きている
そこに問題の悲惨さがある

大切なのは「死の瞬間だけではない」
看取りは入所の時から始まっている
入所者がどう生きたいか、家族とどうかかわってきたか
最期に結実する

「忘己利他」
自分のことを忘れて、他人を助ける

どう生きるのか、それが死に方に反映する





※意見交換会は実施されませんでした。



***************


うまくまとめられず、印象に残った言葉の羅列になってしまいました。
すみません。


レビーの方のご家族には「食べられなくなったら、死ぬ準備」といわれても、
こんなに元気なのに?と、受け入れられないと思います。
そう考える前に、やるべきことがたくさんあります。

ここで語られているのは、超高齢の方で認知症の型もわかりません。
一律にこうであるべきといっているわけではないので、言葉のままではなく、
選択肢の一つとして知り、個々の状態にあわせて、柔軟に考えればいいと思います。





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